自分とコーヒーについて
pplogでざっと書いたんだけど永続化しといていいかなと思うのでまとめておく。
・基本、自分で豆を買ってハンドドリップしたやつしか飲まない
・豆は福岡のスペシャルティコーヒーのお店のやつ(ハニー珈琲、REC COFFEE、マヌコーヒーあたり)+ 焙煎屋 のやつをローテで買ってる
・あと奥さんの実家からたまにデパートのコーヒー豆をもらえる。特に不満はないので、デパ地下にあるような豆屋は普通に良いんだと思う。
・あと、朝しか飲まないことが多い。ハンドドリップをルーチンにしてる
・出張などのお土産の候補に「コーヒー豆」が入るのでいい話。しかし松山では買いそびれた。
・自分で飲むとして、これ以上やり方に拘らないようにしている
・グラインダーまでは買ったが...
・自分で焙煎をすることは今後ないと思う
・ネルドリップ勉強するとかもない、と思う
・書いてるということは憧れはある、わけだが、まあしないと思うわ...
・お店で飲む時はある
・スタバ、上島珈琲店、コメダあたりで空いてたら入ることも。でも割とちゃんとしてそうなコーヒーショップを選ぶ傾向がある。ここでもハニー珈琲、REC COFFEE、マヌコーヒーはよく使う。
・稀に外で買う
・近所のスペシャルティコーヒーのをテイクアウトする。買うとこは以前は2店舗あったけど今はアダチコーヒーだけになってしまった...
・缶コーヒー、ペットボトル他はあまり買わない
・コンビニコーヒーもほぼ買わない
・まあ自分で入れる方が好きなので...
・ただ、ローソンの猿田彦コラボは良かった。200円なのはコスパいい。
・フラッペとか甘いやつはまた別枠
「焙煎屋」は純粋に豆を売っているお店。お店にも卸してるようだが、警固と平尾にあって一般人がふらっと買うこともでき便利。
まあ、なんだって感じだが。ハンドドリップ、気持ちが落ち着くのでおすすめ。あと1日1杯に抑えるのもおすすめ。
メモ
例えば縄文土器のようなものがあって、僕は心を動かされるなと思うわけだけど、新しいところは全然ない。むしろその後の時代の陶芸と比べるとものすごく技術レベルは劣る。本気で、あれは土をこねて焼いただけなので。しかしいや、なんかう〜ん、いいね、と言う感情の存在を否定できない(どう言う感じかは、「ヘうげもの」を読もう!)。
こう言うのは想像力の問題で、例えば縄文人の生活に理想を描いて創造して良さを覚えていたりすることが考えられそう。
(そう考えると美術作品も、あるいは例えば小説・詩も、過去の作品なんだから今の人間から見て新しいところってないわけだ。だから新しいこととか新規性を特異的に取り立ててるのが何かおかしいのだろうなあ)
また、例えば僕は息子や娘の作ったもの、図工の作品とかそう言うものでも「良さ」を覚える。これはもちろん、技術に心を打たれているのではない。と言うか、僕や僕の妻や親族でもない限り、そうそう良いとは思わないだろう(いやまあ、子供の絵を見て「良さある」って思うことは間々あるけどね)。
これは関係性がある結果、作った人の感情や背景を想像して共感し、良さを汲み取っているのに近いのかなとも思う。
今鑑賞している私と作者との関係がこのように重要であれば、「自分がやる意味」が重要なのはそれはそうだ。
そう考えると、そもそも美術の良さは、見た人が勝手に生み出していると思う(アウラとかの議論もまあ大きく言うとそう言う感じじゃなかったっけ...)。で、大前提として、美は超個人的なものなのでいいのではと思うのだが。
そして僕のこの論調も、美術を割と矮小化してるような危惧を感じたため、こう、美学ガチ勢や哲学ガチ勢の皆様の高説をいただきたい...。
発表練習done
ほんと酷かった。つら... 当日がこれじゃなくてよかった。
とはいえ発表が無事終わっても、割と孤独な気持ちなんじゃないかって気もする。自分のやってることをわかってくれる人って少ないし、RubyKaigiならわかる人はいるけど強強ポンなプログラマで怖いので感想を聞く勇気が出にくいし...。
お仕事は、分かりやすいよね。スクラムで信頼できる仲間と一緒に、ソフトウェアアーキテクチャ上の困難に立ち向かう。課題を解決したら、同僚やユーザに喜ばれ、何よりお金で報われる。
そう考えるとOSSってなんでやってるの...? 大抵みんなボランティアだから濃い人間関係ってできないし、フリーライダーも多いし、なんかお金も報われなさすぎ...。
そういうことを思うのであんま人に強く勧めれない。軽くやってみれば? ぐらいは言うけど。
でも本気で成長したいなら、抽象度の高い課題から逃げずにやらないとダメで、そう言うのは大抵OSSにあるのはそうなんだよな。つまりミドルより下に触れられないと成長できない。これは単に低レイヤと言うより、*アーキテクチャ的に*ミドルより下と言うこと。なのでフロントエンドであっても存在しうるレイヤのはず。
英語とかの話
RubyKaigi、2022年の参加あたりからあまりに仕事が忙しかったので資料作りの省力化に余念がなかった。2024年からはもうスライドの英語はほぼAIに任せていた。
2025年の今は、
- 日本語でスライドをつくる
- 日本語でそのスライドを使って一回発表する
- その発表を文字起こしする
- その文字起こしをなるべく忠実に、Geminiに英語にさせ、スクリプトにする
- 一方、Cursorにruleを読み込ませ、日本語スライドの構造を保ったまま英語にする
これでとりあえず当日は発表できる状態にできた。
若干計測結果とかが足りてないのでその辺をちょいちょいやるだけで、ここまできたら極論RubyKaigi期間中からでも終えられる。
んで、ここまで英語発表の障壁がなくなると、RubyKaigiのような場で日本語で発表する言い訳がどんどんなくなっていくよなって思う。
僕は英語全然できないんだけど。
- 英文を読んで、ざっくり概要をつかめるし、見当違いのことを言ってないかはわかる
- 発音はまるっきり正しくないけど、「どうすれば正しい発音になるか」の理論は理解している
という感じのことはできる。このレベルなら、あとはスクリプトを用意できれば、英語で十分意思疎通できる発表が可能になると思う。上のレベルまでならコストかければ誰でもできるのではと思うんだけど。
とはいえ、まあ、僕は面白枠なので... せめて英語で発表できますというアドでもないと通せないのかも...。