I want a range life...

覆甕

文言(wenyan)は数あるプログラミング言語の中でも一つのマイルストーンだと思うのだが、その「序」を真面目に読んだことはなかった。ざっくり各言語を引き合いに出してるな〜ぐらいの理解だったのでGeminiさんと一緒に考えた書き下し文と注釈をここに残す。

書き下し文

それ唐(たう)・虞(ぐ)の世、結縄(けつじょう)にして治(ち)するに足り、指を屈(くつ)して算(さん)するに足る。 この時、豈(あに)料(はか)らんや百代(ひゃくだい)ののち、計算機械の巧みなること、公輸(こうゆ)の木鳶(もくえん)よりも精(くは)しく、武侯(ぶこう)の流馬(りゅうば)よりも善(よ)く、 程式言語(ていしきげんご)の多きこと、繁(しげ)きこと『天官(てんかん)』の星宿(せいしゅく)のごとく、奇なること『山経(さんけい)』の走獣(そうじゅう)よりも勝(まさ)らんとは。 鼠(ねずみ)・蟹(かに)・鑽(さん)・魚(うを)は、或いは速きを以て称せられ、 蛇(へび)・象(ざう)・駱(らく)・犀(さい)は、各(おのおの)文采(ぶんさい)を争ふ。 まさに知る、鬼(き)の夜(よる)哭(な)きし所以(ゆえん)、天の雨粟(うぞく)せし所以を。 然(しか)るに文言(ぶんげん)を以て編程(へんてい)する者は、いまだこれ有らざるに似たり。 これ誠に文脈の伝はる所以にあらず、文心の保たるる所以にあらず。 嗟(ああ)予(われ)小子(せうし)、つひにこの志有り。 然(しか)れども数寸の烏絲(うし)なほ頭(かうべ)に覆ひ、万巻の素書(そしょ)いまだ手に破(やぶ)らず。 一身(いっしん)長く遠邦(えんぽう)に羈(き)せられ、両耳(りょうじ)久しく雅言(がげん)に曠(むな)し。 然(しか)るにそれ文章(ぶんせやう)は吾(われ)の宿好(しゅくかう)する所、程式(ていしき)はたまたま時人(じじん)の謬誉(びゅうよ)を承(う)く。 故(ゆえ)に希孟(きもう)は年少なるを慚(は)ぢず、荘生(さうせい)は無涯(むがい)を望まず。乃(すなは)ちこの言を作(つく)る。 誠に長吉(ちょうきつ)の心血(しんけつ)を嘔瀝(おうれき)する能(あた)はざるも、また庶幾(こひねが)はくは義山(ぎざん)の流沫(りゅうまつ)を免れん。 既(すで)に成りしのち、また干将(かんしゃう)の剣を鋳(い)て自ら飼(くら)ふを学び、越王(えつわう)の糞(くそ)を嘗(な)めて当(まさ)に先んずるがごとくす。 自ら謂(おも)へらく、たまたま『十書(じっしょ)』の筆意を追ふと、ただ八家(はっか)の淋漓(りんり)たるに少(か)くるを恨む。 これ子山(しざん)のいはゆる「士衡(しこう)掌(て)を撫(ぶ)して甘心(かんしん)し、平子(へいし)陋(ろう)と見(な)されて固(まこと)に宜(よろ)し」となり。 然(しか)れば則(すなわ)ち、これ実に覆甕(ふくおう)の質(しつ)なりといへども、なほ斧正(ふせい)の望みを存す。 呂相(りょしゃう)の金(かね)は乏(とも)しきといへども、字を易(か)ふるの渇(かつ)は蓋(けだ)し同じ。 これもまた開源(かいげん)の大義(たいぎ)、吾輩(わがはい)の勉励(べんれい)する所以(ゆえん)なり。一笑。

現代日本語訳

そもそも、唐【伝説の名君・堯(ぎょう)】や虞【同じく名君・舜(しゅん)】の時代には、人々は縄を結んで事足らせて治世を行い【『易経』の記述。文字のない時代、結び目で記録したこと】、指を折るだけで十分に計算ができていた。 その当時に、どうして百代のちの未来を予想できただろうか。計算機械の精巧さは、公輸【伝説の大工・魯班】の作った木製の凧(木鳶)よりも精緻であり、武侯【諸葛孔明】の作った自動輸送車(流馬)よりも優れている。プログラミング言語の多さは、星の運行を記録した『天官書』【『史記』天官書】の星座のように煩雑であり、地理書『山海経』【古代の奇書】に描かれる異形の獣たちよりも奇妙で勝っている。 ある言語は、ネズミ【Go言語(マスコットがホリネズミ)】、カニ【Rust(公式マスコットのFerris)】、ダイヤ【Ruby(宝石のルビー)】、サカナ【Fish shell】のようであり、あるいはその(実行)速度によって称賛されている。 またある言語は、ヘビ【Python】、ゾウ【PHP(マスコットのelePHPant)】、ラクダ【Perl(オライリー本の表紙)】、サイ【JavaScript(オライリーのJS犀本)】のようであり、それぞれが記述の美しさ(文采)を競い合っている。 (文字が発明され、世界が一変したとき)「鬼は夜に哭(な)き、天からは穀物の雨が降った」【『淮南子』。文字の発明という偉大なイノベーションによって世界の秘密が暴かれた驚天動地を指す】というが、今やその理由がまさに分かる。しかしながら、「文言(漢文)」によってプログラミングをする者など、未だかつて存在しなかったようである。これでは誠に、文化の文脈を伝えることも、文人としての心を保つこともできない。 ああ、私のような若輩者【陶淵明の詩「栄木」からの引用。へりくだった表現】ではあるが、ついにこの志(漢文プログラミング言語を作るという志)を抱くに至った。 そうは言っても、頭にはまだ数寸の黒髪(烏絲)が覆っているに過ぎず(=まだ若く)、万巻の書物を読み破ったわけでもない【杜甫の詩の一節。学識が足りないことへの謙遜】。その上、身は長く遠く離れた異国(カナダ)に縛られており、両の耳は久しく正しい中国語(雅言)【標準的な漢語・教養ある言葉】から遠ざかっている。 しかしながら、文章(漢文)は私の昔からの趣味であり、プログラミングについては、たまたま同時代の人々から身に余る評価(謬誉)をいただいた。それゆえ、王希孟【北宋の天才画家。18歳で傑作『千里江山図』を描いた】が年少であることを恥じなかったように、また荘周(荘子)が「(人生には限りがあるが)知性には果てがない」【『荘子』養生主。果てしないものに挑む姿勢】と言ったことを恐れずに、この言語(文言)を作ったのである。 誠に、李長吉(李賀)が「心血を注いで(嘔心瀝血)」詩を紡いだ【唐代の詩人。命を削って推敲した故事】ほどのクオリティには達していないかもしれないが、李義山(李商隠)が「韓碑の詩」で流言飛語にさらされたような【素晴らしい成果なのに他者から中傷されること】、そんな汚名(流沫)だけは免れたいと願っている。 この言語が完成した後は、自らテストを繰り返している。それは、干将が自ら鍛えた剣の切れ味を試した【古代の伝説的な剣匠の故事】ようであり、越王勾践が(屈辱に耐えながら)自ら進んで胆を嘗め、糞を味わった【「臥薪嘗胆」の故事。自作自受=ドッグフーディング(自社製品を自ら使うこと)】かのようである。 自分では、図らずも『算経十書』【古代中国の数学書の総称】の筆意を追うことができたかと思っているが、ただ、唐宋八大家【文章の大家たち】のような水際立った流麗さに欠けることだけが心残りである。 これは、庾子山(庾信)が『哀江南賦』で語った「陸士衡(陸機)が手を叩いてあざ笑うのを甘んじて受け入れ、張平子(張衡)に見劣りすると言われるのも当然である」【偉大な先人たちから見れば、自分の文章などお粗末で笑われるだろうという強い謙遜】という言葉の通りである。 そうはいっても、(私の作った言語が)実際には「味噌(甕)の蓋にするくらいしか価値のない(覆甕)」【『晋書』左思伝。自分の著作が役に立たないことの謙遜。転じて、つまらない本】駄作であったとしても、なお皆さんからの添削(斧正)の希望を捨ててはいない。 呂不韋(呂相)が「(『呂氏春秋』を一字でも直せたら)千金を与える」と言ったほどの富【一字千金の故事】は私には無いが、文字を書き換えてより良くしたいという(オープンソースへの)渇望は同じである。 これこそが「オープンソース(開源)」の大きな大義であり、我々(エンジニア)が互いに励み合う理由でもある。――ハハハ、と笑う。

覚書

「鑽」の位置が、文采ではなく速稱の位置にあるのが不思議である。もしかしたら「紅玉循軌」(Ruby on Railsを晋代にはこう呼んだらしい。Geminiが言ってた。もちろんハルシネーションである)の開発速度についての言及なのかもしれない。あるいは、写本(写本?????forkのこと????)によってはちゃんと文采の位置に記述されたものもある可能性がある。