諸事情により、夜中に週に4回程度天神の近くまで行って帰る生活をしているのだが、今日も天神の近くに行ったら、ギャルの集団が歩いていて、この寒いのにフラペチーノを持っていた。変な意味でもなく、なんかいいな... 若さを謳歌していて... って気持ちになった。 余もギャルになりたいという感じ...。 これが、漱石が「余も木瓜になりたい」と書いた時の気持ちか。
漱石といえば、木瓜になりたいとか菫に生まれたいとか、草になりたがる人であった。