私的国文学史・覚書
基本的には子に教える時のメモなんだが、後学のために残す。
## 言い訳の多い生涯を送って来ました。
・僕は国文科を出ているとはいえマジで不真面目な学生で、もはやほぼ素人だし、読んでない文献も多いため、このメモはあくまでただの雰囲気文章を脱することはない...。 ・改めて書き下ろしてみて、流石に読めてない作品が多すぎるので、一生かけてちゃんと読もうと思いました。僕は日本語母語話者なので、日本語の文学がすぐ読めるし、古日本語(現代日本語に一番近い言語の一つ)の文学も他の母語話者に比べて簡単に学習できてすごいぞ!お得じゃん! ・ということでいくつか間違いがガチであると思います。そこはすいません。 ・有識者、どんどん突っ込んでください...。 ・Geminiに一度レビューをしてもらってるけど、あいつは空気を読むので若干頼りない。 ちゃんと検証・考察したやつがコテンラジオで出てほしい。どう考えても僕より深井さんの方が詳しい。
## 上代(奈良時代+それ以前)
上代について、この文章での大前提を最初に共有する。 一つは記紀の扱い。 古事記、日本書紀はいったん文学と言う範疇から外す。後世への影響を鑑みる必要はあるが、鑑賞するものではないと思う。 (正確には単に歴史書というだけでもなく歌もたくさん含まれてるらしいが、やっぱ文学としての影響力は万葉集...) 記紀は、まあ僕がよく知らないというのが大きいのだが、取り上げない。 もう一つが大事なのだが。 奈良時代の日本語とそれ以降の日本語は明らかな壁がある。 イメージを書くと、そもそも、奈良時代の日本語はカミへの想いを語るための呪術的な言語で、平安時代からやっと日本語が社会的なものになったのでは?って思っている。 発音、文法にも明らかな変化があり、日本の中学高校で習う古典文法は平安以降にフィットさせているので、中学高校レベルの知識では全然読めないと思う。有名な上代特殊仮名遣のとおり、母音が5つだったかすら疑わしい。 そもそも、定家仮名遣の成立は平安時代のようやく終わりであるとされている。定家仮名遣が生まれたということは、日本語の発音(母音が5つ、子音はカサタナハマヤラワ)もピシッと整ったということで、まあ平安時代から徐々に整って藤原定家が13世紀頭に形にしたって理解でいいと思う。発音が整ったということはきっとその時代で文法も整ったんだろう。とにかく、平安時代に、「ワイらの使う日本語はこういう形やで」という規約が意識されて整った。それで作られる文学作品の文法に一貫性が生まれるようになった(はず)。 日本の中学高校ではその一貫性がもたらされた後のものをベースにしている。 さらにいうと、万葉集は東人やらの歌も多く方言もバリバリに混ざってるので、では果たして奈良時代に朝廷近辺で使われていた日本語とは一体... どの歌がそれなのか... という感じになってくる。皇族の歌は流石にそうか...。 とにかくこういう背景があるので、万葉集を読むのは大変。 にもかかわらず、僕は日本の文学の頂点は万葉集で、これを超える作品が出ていないと思っていて、後世の文学者もなかなか大変。GO!GO!7188が「こいのうた」を超える曲を出しきれてない感じです。
## 中古(平安時代)
まだまだ文学が貴族のものだった時代。物語も随筆も日記も出てきて一気に百花繚乱という感じ。 多分、万葉集が成立したことで、8世紀の段階で日本人(の一部)に「ああ、日本で日本人(と当時呼んでないけど、多分)として文学ってこうやればいいんだ」というのが完成して、そこから色々バリエーションが出せるようになったというのがありそう。 追加で、奈良時代に比べては政治も安定してきて漢籍・漢文学の需要が貴族の間に浸透したことも大きいのはありそう。飛鳥時代の白村江の戦いから、奈良時代の大野城や防人の整備と、この時代は外国と戦争をしまくって、大陸からの脅威に怯えていた時代と言える。それが落ち着いたので文化的なところに目を向けられるようになったストーリーはある。 そういう背景もありつつ、8世紀に日本で万葉集という土台が成立したことを日本人はラッキーと思った方がいい。 そして物語も随筆も日記も出てきたのだが、相変わらず文学の頂点は和歌、やまとうたであった。ただし、万葉集の時代までは普通にあった長歌や旋頭歌はあんまりやらなくなり、より形式化、貴族の中で儀式化していった。 あと、個人の感想としては、やはり平安文学というのはとんでもない美しさを湛えていて、これは貴族の中だけで通用する教養や文化、暗黙の了解というものでガチガチに固めて、結果文字数とかが少なくなり表現がむやみに冗長にならず簡潔になっていることに由来するのかなという気もする。多分Ruby on Railsみたいな感じです。 相変わらず現代人には読みづらいのだが、それでも、平安文学にはコードがあるので勉強すれば読めるらしい。
## 中世 1 (鎌倉)
中世になると、武士という軍事力で物を言わせる集団が台頭し、基本的に貴族社会は崩れて形式化する。また、庶民の間でも暴力が身近になり、不安が増していったんだと思う。 そういうわけで中世を象徴するのは仏教文学であり、説話集になる(軍記物語とかもあるけど...)。 説話文学は一般的には日本霊異記(と言っても成立は平安初期)に端を発し、この時点でお坊さんが編集しており、仏教的、教導的、道徳的な性質が強い。 その後、発心集、十訓抄、沙石集と出現して(宇治拾遺物語のような例外もあるのでそれは認識してね/まあ、「拾遺」を名乗ってるのかあれは)、仏教説話集の系譜が完成していく。 沙石集は縁あってある程度読んだのだが、基本的に、お葬式でお坊さんが最後にいい話をするじゃないですか、ああいう感じの話が集まった物だと思っていい。用途としてもそういう感じで、基本的に庶民が直接読んでいたものではなく、ムラで数少ない文字が読める人間だったお坊さんが、みんなのために説話ライブを開催して読んであげていたみたいなコンテクストだと考えればいいと思う。 なのでまあ、内容としては庶民的になっていくが、この時点でもまだ文学は庶民のものではなく一部の人のものであったと言える。 また、この時代も文学の頂点は基本的には”やまとうた”だったのかなと思う。新古今は普通に鎌倉時代の成立である。 和歌は、どうしたってこの時代までの作品に良いものが集中しており、現代の和歌作家はジェロニモ(from キン肉マン)のような気持ちで作歌してるんじゃないかなって想像している。 ところで、日本の子どもは百人一首を覚えるけど、正直、百人一首に入っている歌で和歌の「型」がしっかり身につくよなって思っていて、それくらい優れた撰集になっている。なんか多くの日本人は百人一首で和歌を覚えちゃったんで、それがフツーな感じになっちゃうけど、あれが当時の美のスタンダードと考えてOKだと思う。そんな美の最高峰が便利なカルタになったのが江戸時代。 江戸時代になんでまたそんなポップ化が発生したかは後ほど。
## 中世 2 (室町、戦国/安土桃山)
まずます武士が台頭して、内戦・戦争ばかりになり世の中のカタが完全に崩れていく時代。「へうげもの」あたりを読めば想像できるように当時ギリギリまで貴族社会は存在したが、文化の土台としてはしぼんで先鋭化していっている。 鎌倉時代末期成立であるが、吉田兼好「徒然草」は文学が特権階級のものだった最後の時代の作品である。 徒然草はメチャクチャに読みやすい(ここまでの日本文学と比較して、ではある?)。基本的な古日本語の知識があれば全然普通に読めると思う(「論理的」らしい。 by Gemini)。現代語訳しなくても注釈があればって感じ。そもそも、教科書や受験で散々徒然草は取り上げられているので、5〜6編ぐらいはみなさんの頭の中にすでにあるはず。最近でも筑紫の国の大根が好きな役人の話がネットミームになっていた。 徒然草は随筆と説話の混成という感じであるが、教導的(仏教者のわいが庶民を導くで!みたいな。西洋でいう啓蒙思想?じゃねえな...)性質がめちゃくちゃ低減されているように思う。ただの個人の説教になってるので、読み手も対等な立場で受け取りやすい。教導的な説話文学の最後の過渡期という風味。 兼好の前後、御伽草子のような、なんというかC2Cな文学の原型がじわじわと成立していった。そして西洋文化が否応なく伝来して、伊曽保物語のような、全然ヤマトの文学と文脈が違うものがガツンと広まったりする。当時の永い内乱と相まって、日本の文化は様変わりすることになる。
## 近世 (江戸)
※ 全体に怪しいんですが、江戸あたりからはより記述が怪しい。 さて、江戸時代になると文化とか文藝とかは二種類の道を持つことになる。 まず文芸復興〜国学の流れがある。江戸時代において文芸復興がなぜ大事かというと、先の内戦(応仁の乱〜戦国時代)で貴族文化が壊滅し、日本で脈々と受け継がれてきた文学・和歌を含む文化の系譜が中絶してしまっていた。江戸時代という形で日本が平定してからは、武力だけでなく、今一度「日本の文化って何よ?その上で俺たちって誰?」というのを再定義しないと徳川の皆さんたちの権威の根拠がズブズブになって、歴史的に正当な感じがなくなってしまう。 ちょっとアレなんですよね、デカくなったスタートアップが自分たちのカルチャー!バリュー!と言い出す感じに近いのかも。そうか? ということでまず、平和になったので、文化や文学がある程度江戸幕府の権威付けに使われた面があると思う。だが、そもそも「日本人、ヤマトって何?」みたいなモチベーションが国学の現場側にもあったんではないかなと思う。だって、最初は漢籍や仏典だけでいいってなってたのに「いやいや日本人の心、古事記とか和歌とかもやんなきゃダメでしょ」ってなって、江戸中期にやって良いことの範囲が一気に広まった経緯があるため。 本居宣長さんはそういう「古事記とか和歌とかもやんなきゃダメっしょ」を形(アウトカム)にしたはずで、偉いと思う。 参考文献: 大石慎三郎 著「江戸時代」 https://www.chuko.co.jp/shinsho/1977/08/100476.html で、それと合わせて「本物の」庶民の文学が発生する。ここでは井原西鶴だけ取り上げる。町人文学者はめっちゃいるんで...。 井原西鶴は名前は有名だが作品を読んだ人は少ないと思っている。なぜかはまあ、作風のせいですが...。 好色一代男のあらすじ、ちゃんと把握していない人が多いと見ているが、要するに、 **「親の遺産で500億円ゲットした放蕩息子が、全国を旅して風俗三昧をして、最後はエロ桃源郷を求めて不帰の旅に船出する」** というストーリーである。 こんな作品が教科書に載るわけがないので、井原西鶴は名前の割に作品が知られていない。そして、こんなストーリーにも関わらず人物描写が現代の純文学に全く負けないぐらい深くてホロリとくる。 ちなみに好色一代男は全国津々浦々の名所紹介という側面もあり、九州なら下関や小倉、柳町(福岡住んでても、柳町ってどこ?って感じだけど)も出てくる。こういう作品があるってことは江戸時代って旅行が想像以上にブームだったんだな。 そして、江戸時代の人(都市部の人)はとにかく基本的に暇だったので、上記の国学の隆盛と相まってめちゃくちゃ文化的資本を消費していたらしい。この消費は、例えば金を持っている藩の大名やその奥さんが江戸に押し込められて服を買いまくるなどの遊蕩も含む。国学で再定義された日本の文化資本が大衆化したのかなと思っていて、歌舞伎がそもそもそうだし、昔からやられていた貴族ムーブの歌合と、カルタが融合して庶民化したやつ(小倉百人一首)とかは典型っぽく思う。 そして何より俳句の成立を取り上げないわけにはいかない。 旅情を表現するにあたって「これでいいじゃん、むしろこうじゃないとダメじゃね?」と上の句だけを取り上げた芭蕉の奥の細道(上の句だけ取り上げる文化はそれ以前からあったけど)は江戸の初期である。その後、最終的に一茶に下ると完全にほぼ現代人が読める俳句が成立しており、こうなると一茶でほぼ完成している感じがする。 であれば、正岡子規って俳句に関しては何したんだっけ?って気分になってしまう笑 一応補足すると一茶だとあまりにも大衆的(僕は好きだけどさ...)なのでちゃんと文藝・芸術にする必要性があったんかなとは思う。 と言うことで江戸時代の俳句は芭蕉に始まり一茶で現代レベルに完成すると考えている。 だが、その二人の間に与謝蕪村というマジもんの天才が挟まっているのが江戸時代の一番面白いところだと考える。この人は日本史上を振り返っても類を見ない碩学かつセンスの塊だと思う。さらに神絵師。 春風馬堤曲は漢詩と俳諧がリミックスされた怪作だが、素養がない僕には解釈が難しい...。多分そもそもかなり難しいので各種教科書にも掲載されていない。「蕪村春秋」によれば、日本の歴史上後にも先にもこういう絶対的な教養に裏付けられたリミックス作品は出ないそう(もしかして、惜しいところまで行ったのが釈迢空?死者の書も僕には難しかった...)。 参考文献: 高橋 治「蕪村春秋」 書いてたのがこれだったと思うけどもう絶版じゃん... 江戸期の文学を振り返ると、一旦戦争で破壊された上で平和が訪れないと文学は成立しないんだな〜って気持ちになる。文学には両方が必要そうで、なんとも皮肉な気持ちになる。 そして、池澤夏樹さんの日本文学全集で西鶴や秋成をシュッと読める(すいません、シュッとというには長すぎると思います)のと、あとは一茶の俳句とかを読むとわかるんだけど、江戸時代の段階でもはや現代の日本人とさまざまな感覚が共通している。ワンチャン、タイムスリップしても割と普通に会話できそう。 池澤夏樹さんの全集はこれ: https://www.kawade.co.jp/np/isbn/9784309728810/
## 近代 (明治)
そして近代...まあ...色々あってむずいよね...。僕には追い切れない...。 「坊っちゃん」の時代を一通り読めばいいと思います。 https://gakushumanga.jp/manga/『坊っちゃん』の時代/ というか、僕はあの作品以上の近代文学観を持ってない。谷口ジローさんは日本を代表する漫画家の一人ですね。故人になってしまったが。 ただ一言言っておきたいのは、現代の書き言葉だと我々が思っているものと、小説我々が思っているものは、ほぼ漱石が作り上げたものだよねっていう価値観を持っていること。 なので漱石先輩もまた、日本史上稀に見る碩学で天才だったと思う。明治時代の一番最初に日本に漱石がいて良かった。日本文化とやらは、たまたま良いタイミングに天才がいてなんとかつながってるんだなと思う。 そういえば今年の頭に会社の後輩たちと、松山であった巨大なRubyのカンファレンスに行った時、漱石と子規の同棲生活の話をしたんだけど、なんかBLっぽいものとして解釈されていないか不安だが、その解釈もやむなしかもしれない。 https://www.aozora.gr.jp/cards/000148/files/1751_6496.html これ読んだらなんか泣いちゃうし。 あと、漱石は俳句も良いのでぜひ調べてください。 で、なんというか漱石・鴎外・一葉あたりより後の世代だと、現代日本人が普通に読めるので、国文学史のスコープ外って感じがする。各々で読んで感想を大事にすればいいと思う。
## 締め
最後に、僕は蕪村と漱石が好きなので、好きな俳句をポーンと置いといておしまい。 葱(ねぶか)買て枯木の中を帰りけり 蕪村 菫ほどな小さき人に生まれたし 愚陀仏 冬→春ですね。 菫というのはワイの死んだばあちゃんの名前でもある。